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20件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1991-10-02 第121回国会 衆議院 外務委員会 第3号

こういう状況になりまして、八月十五日に東京留守家族大会というのを開きました。アラビア石油がなぜ操業をとめないのか、それはそういうふうな会社的そして国家的な使命があるのだということをよく説明し、また、同社の当時副社長でありました小長氏が現地に行って、自分でちゃんとよく見てくるということを約束して、そして不満を和らげるという努力をしたのであります。  そして小長社長はカフジに飛びました。

福田康夫

1957-04-04 第26回国会 参議院 外務委員会 第13号

すでに人道上の協力を先方に求める岸総理は、この未帰還者調査については中共政府と直接交渉をする考えがあると、個人的にそういう考えを持っておるということを、未帰還者留守家族大会代表に対しても答えられているし、また参議院予算委員会におきましても、人道問題から善処したい、中国に引揚促進に努力しておる国会議員の派遣、さらに必要に応じては政府の役人をも派遣することを考えておるというように答弁せられております

竹中勝男

1956-07-23 第24回国会 衆議院 外務委員会 第60号

重光国務大臣 過日の留守家族大会には、私も実は万障繰り合わせて出席をいたしました。そうしてそのときにはっきりと申し述べておきました。留守家族の御要望はほんとうにごもっともである、私もその実現に、向ってあらゆる努力をしてみよう、またしてみなければならぬのであります。その心組みで交渉に、当るということをはっきりと私は申しておいたのであります。

重光葵

1956-04-02 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第11号

臼井先生の御要望、御心配の向きは、私も十分心配いたしておりましたけれども、この際は、未帰還者の名簿を全部そろえて向う側に渡してほしいというのが、留守家族大会の一致した強い御要望であったわけであります。ごもっともの点でございますので、その点はそういうふうにいたしましたし、なおこちら側はこちら側として、さらに調査を継続して参っておることは当然でございます。

田邊繁雄

1953-07-09 第16回国会 衆議院 予算委員会 第19号

先々月の二六日も、外務省に留守家族大会代表者が参上して、どなたかにお会いしておるはずである。そこで外務大臣お伺いしたいのは、なるほどソ連とりが国とは、いまだ平和条約が締結されておらない。法律的には不幸にしてまだ戦争状態が継続しておる今日ではあるけれども、その他の国々がオーストラリアといい、フイリピンといい、戦犯者までも送還され、あるいは特赦、減刑、釈放の恩典を与えておる。

庄司一郎

1951-07-28 第10回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 閉会後第4号

いよいよ対日講和の問題が、会議等の開催が決定いたすにつれまして、発表になりました條約草案の中に、捕虜の処置に関する項目が載つておりません関係もあり、又いわゆるソ連圏内におきまする相当多数の未引揚者の現状がそのままの状態に相成つておりまする関係からと存じまするが、全国協議会の主催によりまする全国留守家族大会が二十三日以来開かれて参りましたが、二十五日でございましたかと記憶いたしまするが、二十五日には鶴見

草葉隆圓

1951-07-26 第10回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第12号

去る二十三日より東京で開かれております留守家族大会におきましても、この講和条約引揚げ問題がその焦点になつておりまして、昨日は本委員会といたしましてもこの大会に臨み、その状況を見て参つたのでありますが、その悲痛なる叫びは、各委員も文字通り御承知なさつたことだろうと考えるのであります。

若林義孝

1951-07-24 第10回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第11号

したならばその問題が四月十八日に論議されたであろうと、二月に論議されたであろうと、少くとも今回の講和においては、この問題はわれわれが考えておる以上に、国民の一人までも帰さなければならぬという総理意思表示は、昨年の七月十八日に日本留守家族大会が休止を命ぜられた場合において、総理官邸で私どもともども代表者と聞いた言であるのであります。

池見茂隆

1951-07-24 第10回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第11号

過般来各府県を数班にわかれて御視察を願つたのでありますが、その調査の結果等を含めまして、なお昨日来全国留守家族大会東京におきまして開かれまして、悲痛なる叫びがわが国会へも届いておるのであります。それらを中心といたしまして、関係当局の意見をただし、本委員会使命を十分に果したいと考えるのであります。

若林義孝

1951-07-24 第10回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 閉会後第3号

これをこのたびの講和会議に飽くまで日本政府の立場から当時の関係国であつた英米その他の、このたびの条約国に対して特にお願いして未帰還同胞を還してもらうような方法をとれという決議を、昨日共立講堂に開かれました全国日本留守家族大会において決定されたのであります。

千田正

1950-07-28 第8回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第4号

前回の委員会、前々回の委員会におきまして、過般十八日から二十一日にわたります全国留守家族大会並びに奪還国民蹶起大会が、その筋の命によりまして中止をせられて、すでに国元をお立ちになつてこ大会に参加せられんとするところの方たちが、中途においてその行を中止せられた向きもあり、この趣旨が徹底をせずして、車中などにおられました関係上、東京に御到着になつた方たち、この大会がせつかく熱意ある国民要望によりまして

若林義孝

1950-07-28 第8回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第4号

そういたしますとソ連大使館陳情参つて、それがたまたま勢いのおもむくところ、大使館の中に入り込んで行くという事態があれば、そこにいろいろの、結論的に申しますとマイナスになる点があるので、これを禁止した、大使館のないところにおいてはかかる行動はさしつかえない、かかる行動と申し上げることは要するに留守家族大会等はさしつかえないというように拜承いたしたのでありますが、そうしますと、東京都において留守家族大会

玉置信一

1950-07-22 第8回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第3号

この引揚者家族大会、すなわち留守家族大会といい、また全国引揚国民運動大会といい、この団体思想団体ではないのであります。従いましてこの運動そのものが、現下の思想的背景をもととする団体の集合のように解されるということは、はなはだ遺憾に思います。私はこの機会に警視庁当局の、禁止された根本方針がどこにあつたか。

玉置信一

1950-07-20 第8回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第2号

さらに申し上げたいことは、一昨日ですか、全国留守家族大会というのが東京において行われることになつておりましたけれども、これも時局の関係と申しますか、そういつたことによつて流会になつたのであります。つきましては、それを目標に全国から相当数苗守家族として上京されている方々を事実まのあたりに見るのであります。

池見茂隆

1950-07-20 第8回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第2号

池見委員 私は法務関係について、警備部長さんが御出席ですからお尋ねしますが、一昨日東京都において全国留守家族大会が行われるということは、すでに数日前より各県の団体に向つて通牒が発せられ、かつその予定をもつて一昨日東京都に参集されたと私は心得えておるのであります。

池見茂隆

1950-07-20 第8回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第2号

われわれは日本国民の輿論を喚起し、さらにその日本国民の中の一部の留守家族の気持を表現する上におきましては、先ほど受田委員は、こういつた留守家族大会のごときは再び行われるであろうかというきわめて悲観的なお話がありましたけれども、勇を鼓してさらにこの目的の達成するまでは、私はこういつた会合は、将来法にもとらざる限り、やるべきであるということを確信しておる。

池見茂隆

1950-04-27 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第28号

それから一九四六年の二月の二十日に、これは共産党がまず提唱いたしまして、当時の各政党に呼びかけまして、日本劇場におきまして、引揚者留守家族大会というものを開きまして、ここで残留同胞引揚げ促進受入れ態勢の完備、留守遺家族生活擁護、この三つの問題を大会において決定いたしまして、そうしてこれを政府、それから当時の連合軍司令部陳情要請しておる事実があるのであります。

梨木作次郎

1950-04-04 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第18号

この人が一番先に提唱いたしまして、当時の各政党に呼びかけまして、日本劇場引揚者留守家族大会というものを開いて、そして引揚促進のための要請政府に対してもやつたし、連合軍司令部に対してもやつておるのであります。それからその次には一九四八年四月二十九日においても、第二回の引揚者大会を京橋の公会堂でやつておるのであります。そのときには司会をやつたの共産党黒木重徳という人なのであります。

梨木作次郎

1948-11-17 第3回国会 参議院 本会議 第13号

(拍手)御記憶に新たなることと存じまするが、先々月九月二十七日から三日間、全國留守家族大会が開催されまして、五十万同胞留守家族代表三千名が、我らの夫、私の子を、父を、一日も早く帰して下さいという熱望は、遂に六百になんなんとする人々の数日間に亘る悲壯なる断食となつて現われたのであります。

草葉隆圓

1948-10-22 第3回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第3号

これに対してこれの増額要望留守家族から燃烈なものがありまして、去る九月二十一日の留守家族大会あの五百数十名が断食したという留守家族大会の主要な國内的要求の一つは、これの増額であります。この増額については、理屈からいえば、これは國民の誰かが負担しなければならん犠牲を……、外地において労働に從事しておるんですから、國家の公務員と同等に扱うべきだと考えるのであります。

星野芳樹

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